ある素材をもとに、今この時代、この場所に、このメンバーであることで、どのような〈物語〉を浮上させることができるかを試行錯誤する団体。
団体名の由来は、トーベ・ヤンソン「楽しいムーミン一家」第二十四話に出てくる「小さな生き物」ティーティーウー(”はじめは明るく、最後は少し悲しげな響き”)からきている。
<説明ではなく行為を、理解ではなく解釈を、みたことのないものをみるために>
たとえば理解と解釈についてわたしたちは以下のように考える。
目が見えて識字のある人が母国語を読む時、それは脳内にて直ちに意味内容に変換され「理解」ができるようになる。しかし、それがもし自分の知らない言語の並びであった場合、文字として認識できるどころか単に羅列された模様にしかみえないこともあるのではないだろうか。
言葉は、文字は、特権的で出会う者を選ぶ。このように脳という変換プラグを鍛えなければ到達できない状況に際した場合、その壁を乗り越える情熱がなければ一生出会うことのない「理解」もあるだろう。
ありのまま感じることと、意味を理解することは、どちらが高尚とはいえない。演劇に於いて観客がeditorだとしたら舞台の上にあるものは単なる要素でしかない。既に現れているわたしたち自身と、わたしたちが表すなにか、それら双方を引き受けて仕掛けていく過程を「表現」と呼んでみたい。
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